

d047:「元祖・拾の溪温湶鄕」(元祖・拾の溪温泉郷 )のコンセプトと建物について
前作「拾の溪温湶鄕 入口驛」にて、温泉郷へと向かうための電気軌道線(路面電車)の始発停車場周辺の風景を模型化しましたが、今回作は温泉郷の風景を題材としています。 2018年「弐の渓温泉 電気軌道」、2020年「参の渓温泉 電気軌道」以来の里山もの第2弾です。
場面設定は 昭和初期ごろ(昭和元年=1926年)。 江戸時代(1603 – 1868)に源泉が発見され、最初は小さな湯治宿だけだったところが、時代の経過と共に大きな浴場といくつかの旅館(宿泊施設)が出来上がった架空の温泉郷、という設定です。
電気軌道線(路面電車)の停車場を降りるとすぐに土産物屋や食堂があり、橋を渡って川の反対側へ行くといくつかの旅館が急な山肌にへばりつくように建っています。
過去の拙作 2018年「弐の渓温泉 電気軌道」、2020年「参の渓温泉 電気軌道」の2作品は共に、平面サイズが W 320 x D 230(mm)と、A4サイズを少し大きくした程度のサイズでしたが、前作の「拾の溪温湶鄕 入口驛」の平面の大きさは、W 500 x D 308(mm)と、ふた回りほど大きくなり、さらに今作「元祖・拾の溪温泉郷」では奥行きが 30mm(1.2 inch)ほど増え、H 約270 mm x W500 x D 340(H 10.63 x W 19.68 x D 13.38 inch) となりました。
- 建物・鉄橋・RC造橋・トンネル入り口部分(レンガ積み)など、すべてオリジナル設計によるフルスクラッチです。
(レーザーカッター使用、データはCADによるオリジナル) - 屋根瓦・街灯・電柱・など、一部にメーカ製素材を使用。
2026年(令和8年)4月29日 発表

| 前作「拾の溪温湶鄕 入口驛」にて、温泉郷へと向かうための電気軌道線(路面電車)の始発停車場周辺の風景を模型化しましたが、今回作は温泉郷の風景を題材としています。 2018年「弐の渓温泉 電気軌道」、2020年「参の渓温泉 電気軌道」以来の里山もの第2弾です。 場面設定は 昭和初期ごろ(昭和元年=1926年)。 江戸時代(1603 – 1868)に源泉が発見され、最初は小さな湯治宿だけだったところが、時代の経過と共に大きな浴場といくつかの旅館(宿泊施設)が出来上がった架空の温泉郷、という設定です。 電気軌道線(路面電車)の停車場を降りるとすぐに土産物屋や食堂があり、橋を渡って川の反対側へ行くといくつかの旅館が急な山肌にへばりつくように建っています。 過去の拙作 2018年「弐の渓温泉 電気軌道」、2020年「参の渓温泉 電気軌道」の2作品は共に、平面サイズが W 320 x D 230(mm)と、A4サイズを少し大きくした程度のサイズでしたが、前作の「拾の溪温湶鄕 入口驛」の平面の大きさは、W 500 x D 308(mm)と、ふた回りほど大きくなり、さらに今作「元祖・拾の溪温泉郷」では奥行きが 30mm(1.2 inch)ほど増え、H 約270 mm x W500 x D 340(H 10.63 x W 19.68 x D 13.38 inch) となりました。 2026年(令和8年)4月29日掲載 |
- Nゲージ、S=1/150スケール
- 建物・鉄橋・RC造橋・トンネル入り口部分(レンガ積み)など、すべてオリジナル設計によるフルスクラッチです。(レーザーカッター使用、データはCADによるオリジナル)
- 屋根瓦・街灯・電柱・など、一部にメーカ製素材を使用
00:電気軌道線の停留所(路面電車)
「電気軌道線」については、他のページにまとめております。 こちらをご参照ください。

01:瀞溪樓 湯本屋(せいけいろう ゆもとや/旅館)

01:
この地に温泉が見つかった後、江戸時代に初めての湯治宿として創業した旅館「湯本屋」が、大正時代(1912 – 1926)に電気軌道線が開通した際に3階建てに改築し、屋号を「瀞溪樓 湯本屋」と改めた、という設定です。 小さいながらも1階部分に内湯(建物内の温泉浴場)があります。 現在のように、各部屋に浴室があるわけではありません。
電気軌道線開通による宿泊客増加を見込んで床面積を広げたいと考えたものの、もともと傾斜地を切り開いた立地だったため横に広げることができず、3階部分を増築し上に伸ばした、という設定です。
今では考えられませんが、当時は2階建を3階建に改築するというような思いきった増改築は時々行われていたようです。 日本の木造在来工法は、そのような臨機応変な増改築をやりやすい構造なのです。 耐震性能が心配になりますが、その辺は施工担当の棟梁の判断・技術次第です。
(現代では建築基準法などの法規制が厳しく、そのような改築は非常に困難です)
瓦屋根は取り外しができて内部を覗けます。 1〜2階分も内部を少し作りましたが、3階部分は特に、ちゃぶ台、座布団、敷かれたままの布団 などをしつらえました。
この「湯本屋」は、渓流をはさんで反対側(作品では手前部分)の電気軌道線の停留所前には土産物屋も開業しています(建物-5 参照ください)。

02:枩風舘(しょうふうかん) 新字:松風館

02:
電気軌道線開通後に新しく開業した旅館、という設定です。 もともと山の斜面だったところに無理やり建物を作ったので、建物を支える「清水の舞台」のような柱が必要でした。
内湯(建物内の温泉浴場)はスペースの問題で設けることができず、後述する「翆峯舘(すいほうかん)」(建物-3)と共同運営する形で大浴場「延命湯」を別に建設した、という設定です(建物-4)。
瓦屋根は取り外しができて内部を覗けます。 1〜2階分も内部を少し作りましたが、3階部分は特に、ちゃぶ台、座布団、とっ散らかった布団 などをしつらえました。

03:翆峯舘(すいほうかん) 新字:翠峰館

03:
「枩風舘」(建物-2)と同じく、電気軌道線開通後に新しく開業した旅館、という設定です。
やはりここも、もともと山の斜面だったところに無理やり建物を作ったので、建物を支える「清水の舞台」のような柱が必要でした。 現在では災害が怖くてこのような構造計画は考えられませんが、風景としてみるとなかなか風情があります。
「枩風舘」(建物-2)と共同管理する形で大浴場「延命湯」(建物-4)を別に建設した、という設定です。
瓦屋根は取り外しができて内部を覗けます。 1〜2階分も内部を少し作りましたが、3階部分は特に、ちゃぶ台、座布団、敷いたままの布団 などをしつらえました。

04:延命湯(えんめいゆ)

04:
新規参入組の二つの旅館、「枩風舘」(建物-2)と「翆峯舘」(建物-3)が共同運営する形の大浴場、という設定です。
江戸時代までは公衆浴場(銭湯など)は男女混浴が普通だったそうですが、明治時代(1868 – 1912)になると当時の政府により厳しく取り締まりが行われ、ようやく男女別となったそうです。 ネット上には「東京などの大都市以外の地方では禁令が行き届かず男女混浴がしばらく続いていた」という記述も見当たりますが、ここではコンプライアンスの問題があるので、男女別といたしました。 老舗の「瀞溪樓 湯本屋」(建物-1)の宿泊客が利用できるのかどうかについては、旅館までお問い合わせください。
屋根が取り外しできて内部をのぞけます。 旅館のように細かくではありませんが、一応浴場の体裁があります。 入浴中の客が1名います。 この時間は空いています。

05:湯本屋 みやげ舗(ゆもとや みやげほ)

05:
電気軌道線の開通に合わせて、「瀞溪樓 湯本屋」(建物-1)が開いた土産物屋という設定です。
※この建物はかわら屋根の取り外しができますが、一部の作品画像で屋根が少し浮いた状態で写ってしまったことを何卒お許しください。
(←左の画像は、屋根は浮いていません)
日本では温泉地に「名物の温泉まんじゅう」が必ずと言っていほどあるようですが、ネット上の情報では最初の「温泉まんじゅう」は明治時代末期、群馬県の「伊香保温泉」だったそうです。
「湯の花(湯の華)」と言われる、温泉水中に生じた沈殿物(温泉成分の濃縮されたもの)もあったかもしれません。 「湯の花」は、入浴剤として一般家庭のお風呂に溶かすと温泉と同じような気分と効果が得られるのです。 「湯の花」の歴史については詳しく調べていませんが、江戸時代には各地にあったようです。
その他、現在でも温泉地みやげに多い気がする「こけし人形」も売っていそうです。 他にどんなものを売っているのでしょうか。
昭和高度成長期以降の観光地みやげものといえば「ペナント」なんてものがありましたが、1959年頃に「東京タワーみやげ」として売り出されたものが最初だそうです(東京タワー開業は1957年)。 ですので、昭和初期(昭和元年=1926年)の「湯本屋 みやげ舗」ではペナントは取扱っておりません。 何卒ご了承ください。

06:みやげ舗 山灯屋(みやげほ さんとうや)

06:
「湯本屋 みやげ舗」(建物-5)と同じく、電気軌道線の開通後に開業した土産物屋という設定です。 お隣の「湯本屋 みやげ舗」と同じようなものを売っていたはずです。
07:お食事処 清水屋(おしょくじどころ しみずや)

07:
この温泉郷がまだひなびた湯治場だった頃の江戸時代からあった「茶屋」が前身の食堂、という設定です。
電気軌道線が開通する前は、少し離れた宿場町から徒歩、あるいは人力車などで湯治場を訪れた客は「9」の木造橋で渓流の上を渡り「湯本屋」(建物-1)に向かったので、そのルート上にお店がありましたが、昭和初期に新しい橋「10」ができてメインルートが変わったため、立地条件が微妙になりました。
08:銘菓処 望渓堂(めいかどころ ぼうけいどう)

08:
少し離れた宿場町にある和菓子屋さんが、支店を出したという設定です。 立地に合わせるため、本店とは屋号を少し変えています。
09:木造橋

09:
江戸時代からある橋ですが、電気軌道線が開通する前はこの付近に渓流を渡る橋はここにしかなく、湯治場へ向かうには欠かせない橋だった、という設定です。
10:鉄筋コンクリート橋

電気軌道線の開通に合わせて旅館2つが新規開業しましたが、それからしばらくして昭和初期にできた 鉄筋コンクリート橋、という設定です。 それに合わせて対岸(温泉街側)に石垣(擁壁)や 階段、後述する「露店風呂」(11)も新しく整備されました。
昭和初期(昭和元年=1926年)頃の 鉄筋コンクリート(RC造)構造物は、当時まだ新しく日本に入ってきて間もない最先端の建設技術によるものでしたが、現場作業員(職人)の人工(にんく・人件費の事)が安かったこともあり、時間と手間をかけて非常に丁寧に施工されており、100年を超える耐久性を持つものも多く、当時の構造物(建築物や橋など)が現在も残っている例がいくつかあります。 これに比べて、昭和の高度成長期以降(概ね1950年代以降)のコンクリート構造物は寿命が短い(短かった)、というのは度々耳にする話です。
11:露天風呂


鉄筋コンクリート橋の建設に合わせて新しくできた 露天風呂、という設定です。 この温泉地に新規開業した二つの旅館の下、渓流沿に作られました。
現在でも 河川敷(川の両岸)は国や自治体の所有地のほか、歴史的な経緯により個人所有も認められているケースがあるそうですが、現在では「河川法」という法律により、川岸の形状や川の流れを変えるような工事は自由にできないということです。 しかし昔はその辺が緩かった、という想像に基づく人工物です。 ここではおじさん2人がゆっくりくつろいでいます。
文章:山尾 比呂士|Text:Yamao Hiroshi
2026年(令和8年)4月29日発表
Published on April 29, 2026
English translation: ChatGPT-5.6 Luna
[JP] d047:元祖・拾の溪温湶鄕のコンセプトと建物について


