[JP] d048:本家・拾の溪温湶鄕・鳳泉楼(ほうせんろう)の建物について

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  • 作中の架空の大規模旅館「鳳泉楼」(ほうせんろう)の 架空のチラシとポスター
    (昭和初期頃、1920年代風のデザインです)
    • 画像生成AIを使って昭和初期の風情で出力後、作者が大幅に手直ししました。
    • 時代設定が昭和初期(1920年代)なので、横書き文字は「右から左」に読んでください。(現在の横書き「左から右」が一般的になったのは、戦後以降との事です)
       

d048:「本家・拾の溪温湶鄕・鳳泉楼」(ほうせんろう)の建物について

今作「本家・拾の溪温湶鄕・鳳泉楼」は、昭和初期の関東地方の山あいにある渓流の架空の大規模温泉旅館の風景です。 ここより上流域にある、江戸時代から続くひなびた「元祖・拾の溪温湶鄕」(前作)に対し、この作品は昭和初期(昭和元年=1926年)に地元有力者が威信をかけて開業した大規模旅館、という設定です。

江戸時代にも湯治や参詣を兼ねた旅行文化はかなり発達していましたが、明治以降、鉄道網の発達とともに温泉地への旅行はそれまで以上に広がり、大正から昭和初期にかけては、鉄道を利用した国内旅行や団体旅行も次第に盛んになっており、それにともない多くの宿泊客を収容できる客室や大広間などを備えた旅館も各地に現れるようになったとのことです。 一部には西洋建築の様式を取り入れたハイカラな旅館も造られましたが、この「鳳泉楼」ではあえて日本の伝統的な建築様式で外観を統一しました。

「鳳泉楼」の敷地内には、本館をはじめ、宿泊棟、大宴会場、大浴場など用途の異なる建物がそれぞれ別棟として建てられています。 それらは屋根付きの渡り廊下で結ばれ、雨や雪の日でも天候に左右されることなく館内を移動できるようになっています。

建物がいくつもの棟に分かれているのは、開業後の旅館の発展にともなって増改築を重ねてきた、という想定によるものです。 そのため館内には、近世以来の旅籠・旅館建築の流れを残す古い形式と、西洋のホテルの影響を受けた近代的な宿泊施設の平面計画とが併存しています。

伝統的な日本旅館から近代的な観光旅館へーーその両者が入り交じる、昭和初期という過渡期ならではの旅館建築の姿を想定して制作しました。

夜が更けても客足の絶えない、全盛期の「鳳泉楼」ーーー。その賑わいを表現するため、今回特に館内には多くの LED を仕込んでいます。 ひとたび明かりを灯せば、山あいの闇に大小の客室や廊下が連なり、「鳳泉楼」はさながら「不夜城」のような姿を現します。
 

2026年(令和8年)8月13日 解説文を掲載


00:電気軌道線の停留所(路面電車)

「電気軌道線」については、他のページにまとめております。 こちらをご参照ください。

01:鳳泉楼 本館(ほうせんろう ほんかん)

01:
「本館」は威風堂々とした和風の木造3階建てで、訪れた客が離れた場所からもすぐにわかるように格式高い「入母屋の瓦屋根」としています。 客人を迎へ入れる玄関の屋根は格式ある「唐破風」屋根です。
 
玄関前には、政財界の有力者や華族、貴顕紳士(きけんしんし)などが、自動車や人力車で来訪しても対応できるように「車寄せ」の広場があります。 (黒いT型フォード2台が停車中、渓流を渡る橋には通過中の 赤いA型フォード)昭和初期の旅館は玄関を入ると、客は土間で履物を脱いでから旅館内部に入ります。 現在の旅館でも一部残っている形式です。 そこには「玄関番・下足番」という役割の従業員がおり、客の履物を預かって「下足場(げそくば)」に納めます。 客は数字の書かれた木札「下足札(げそくふだ)」を受け取ります。 昔の旅館の玄関横には、大きな「下足棚」があったのです。
 
1階には正面玄関のほか、「帳場」(ちょうば・受付フロント)、「玄関広間」などがあります。 訪れた客は帳場で「宿帳」に姓名や住所などを記入します。 「玄関広間」は、大宴会場棟や客室棟へ向かう渡り廊下の中継地も兼ねています。 1階にはその他に「電話室」があります。 昭和初期、当時まだ電話は特別な通信設備であり、鳳泉楼では小さなボックス状の専用室を設け、壁掛け型の電話機を備えているのです。

2〜3階は客室を兼ねた座敷が並びます。 10畳ほどの座敷が襖で仕切られて4室連続しており、通常はそれぞれを客室として、宴会時には襖を取り払って一続きの広間として使用することもできます。 廊下は客室の外周を取り囲むように巡らせ、「通行のための動線」と「客室から景色を眺めるための空間」を兼ねています。 このように座敷を襖で柔軟に仕切り、その周囲に廊下や縁を巡らせる構成には、近世以来の 旅籠(はたご)・旅館建築の名残を見ることができます。フレキシブルに使えるのがメリットでもありますが、開閉自由な襖で仕切られただけの個室はプライバシーがあるとは言えず、宿泊室として考えると現代の私たちの感覚とは相容れないものがあります。
 
このような形式の客室は現在ではほとんど見られなくなったと思いますが、昭和時代の中期頃(1960年代後半〜1970年代はじめ頃)まで地方の一部の古い旅館や民宿などにまだ残っていたようで、作者は幼少期に家族旅行で一度宿泊経験があります。 家族で寝ていた部屋の、襖一枚で仕切られた隣の部屋で深夜まで大盛り上がりの宴会があって、とても怖かった記憶があります。

瓦屋根は取り外しができて内部を覗けます。 1〜2階分も内部を少し作りましたが、3階部分は特に、ちゃぶ台、座布団、誰かが寝ている部屋のちらかった布団、宴会が行われている部屋や密談の状況証拠 などをしつらえました。

02:大宴会場「鳳凰殿」(ほうおうでん)

02:
大規模な温泉旅館(観光旅館)では重要な施設となる「宴会場」を独立した一棟としています。 本館の最上階を大宴会場としても良かったのですが、わざわざ本館と別棟としているのは旅館全体の格式を上げるためです。 
 
日本の温泉旅館(観光旅館)の大宴会場は、都市部の大規模ホテルや西洋の高級ホテルにおける多目的なバンケットホールとは少し性格が異なり、団体客が食事や酒、余興を楽しむ、温泉旅行における重要な社交の場でした。 昭和初期にはすでに大規模な宴会場を備えた観光旅館が現れ、戦後の高度経済成長期には団体旅行の隆盛とともにさらに大型化していきます。

本館からは屋根付きの渡り廊下で結ばれ、客は庭を眺めながら宴席へと向かいます。 宴会場へ至るまでの移動そのものが、これから始まる宴席への期待を高める演出にもなっているのです。

1階は、3間×2間(18尺×12尺)=約 12畳 の 小宴会場 が4つあります。

2階は、3間×8間(18尺×48尺)=約 48畳、舞台付きの「大宴会場」があります。 舞台では、芸妓による舞踊をはじめ、長唄・端唄・小唄などの唄や三味線、民謡や土地の踊り、幇間(太鼓持ち)による滑稽芸など、さまざまな余興が披露された、という想定です。 また、客自身が舞台に上がって余興を披露することもありました。 当時の宴会場の舞台は、プロの芸能を鑑賞するだけでなく、宴席そのものを盛り上げるための空間でもありました。

03:宿泊棟「溪聲館」(しょうせいかん/現代表記:渓声館)

03:
鳳泉楼の標準的な宿泊棟で、主に一般客や団体客を収容することを想定しています。

廊下 は客室の外周を取り囲むように巡らせ、「通行のための動線」と「客室から景色を眺めるための空間」を兼ねています。 このように座敷を襖で柔軟に仕切り、その周囲に廊下や縁を巡らせる構成には、近世以来の 旅籠(はたご)・旅館建築の名残を見ることができます。
 
「1:本館」、「2:鳳凰殿」、「6:大浴場・千歳湯」とともに、鳳泉楼の開業時からある建物という設定です。 入母屋造の瓦屋根は取り外しができて内部を覗けます。 1〜2階分も内部を少し作りましたが、3階部分は特に、ちゃぶ台、座布団、とっちらかった布団 などをしつらえました。

04:宿泊棟「枩風舘」(しょうふうかん/現代表記:松風館)

04:
「3:溪聲館」の背後の急斜面に、開業後すぐに増築された宿泊棟という設定です。 眺望を確保するとともに急斜面を利用するため、清水寺の舞台を思わせるように斜面へ高い柱を立ち上げた構造としています。

主に家族客を収容する目的の宿泊棟で、客室を廊下で取り囲む平面計画ではなく、「通行のための動線」としての「廊下」と、「客室から景色を眺めるための空間」としての「広縁」(ひろえん)を分けています。(客室に付属する広縁) 客室の周囲を共用廊下が巡る「3:溪聲館」に比べ、客室の独立性が高くなっています。
 
これは、現在の旅館建築とほぼ同じ客室の構成で、伝統的な日本旅館から近代的な観光旅館へーーその両者が入り交じる、昭和初期という過渡期ならではの旅館建築の姿を表現しています。

瓦屋根は取り外しができて内部を覗けます。 1〜2階分も内部を少し作りましたが、3階部分は特に、ちゃぶ台、座布団、敷いたままの布団 などをしつらえました。

05:宿泊棟「觀月館」(かんげつかん/現代表記:観月館)

05:
「4:枩風舘」のさらに奥に増築された「特別な別館」という設定です。 眺望を確保するとともに急斜面を利用するため、清水寺の舞台を思わせるように斜面へ高い柱を立ち上げた構造としています。

主に上客や文化人、長逗留(ながとうりゅう)の客を迎えるための宿泊棟です。 当時は作家や文化人が旅館に長逗留し、執筆や創作を行うこともありました。 上等室というわりに屋根の仕上げが板葺きなのは、急斜面に建つため建物の重量を少しでも抑える必要があり、棟梁の判断で重い瓦葺きを避け、板葺きとした――という設定です。

「4:枩風舘」と同じく、「廊下 — 客室 — 広縁」の平面計画となっています。 現在の旅館建築とほぼ同じ客室の構成で、伝統的な日本旅館から近代的な観光旅館へ――その両者が入り交じる、昭和初期という過渡期ならではの旅館建築の姿を表現しています。

板葺き屋根は取り外しができて内部を覗けます。 1〜2階分も内部を少し作りましたが、3階部分は特に、ちゃぶ台、座布団、まだ誰かが寝ている布団 などをしつらえました。

06:大浴場「千歳湯」(ちとせゆ)

06:
「1:鳳泉楼 本館」「2:大宴会場・鳳凰殿」「3:宿泊棟・溪聲館」と共に、開業時に同時に建設された、という設定です。
 
江戸時代までは公衆浴場(銭湯など)は男女混浴が普通だったそうですが、明治時代(1868 – 1912)になると当時の政府により厳しく取り締まりが行われ、ようやく男女別となったそうです。 ネット上には「東京などの大都市以外の地方では禁令が行き届かず男女混浴がしばらく続いていた」という記述も見当たります。
 
ここではもちろん男女別になっていますが、コンプライアンス上の問題が生じないよう、屋根を固定しております。
 
 

07:露天風呂「渓月之湯」(けいげつのゆ)

07:
すぐ横を流れる渓流と、夜には月を同時に楽しめる露天風呂です。 鳳泉楼が開業後、宿泊客を呼び込むための目玉として増設した、という設定です。
一応男女別になっており、男湯ではおじさん3人がくつろいでいます。
 
 

08:八角風呂「鳳凰泉」(はっかくぶろ・ほうおうせん)

08:
「4:枩風舘」、「5:觀月館」に宿泊する客だけが利用できる、八角形の特別浴場です。 「5:觀月館」を増築する際に同時に造った、という設定です。
 
一般の団体客は利用できないことになっております。何卒ご了承ください。
 
 

09:食堂「酔渓亭」(すいけいてい)

09:
昼は宿泊客だけでなく外来客も利用できる食堂、夜は宴席の後に酒を楽しむ場所として賑わう、という設定です。 敷地に平坦なところがなくなり、仕方なく渓流の反対側に増築したのです。
 
宿泊客の移動で困らないように、「3:溪聲館」と屋根付きの渡り廊下で結ばれています。 渡り廊下から渓流が見下ろせると客からは好評です。

10:便所

各宿泊棟とは別に設けられた共同便所です。当然ながら水洗式ではありません。 旅館の華やかな施設ばかりでなく、こうした裏方の設備も作ってみました。


文章:山尾 比呂士|Text:Yamao Hiroshi
2026年(令和8年)8月10日掲載
Published on August 10, 2026
English translation: ChatGPT-5.6 Luna


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